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大阪市民でいたい

本日、51歳になりました。
昨年の今頃は骨折していましたが、今年は元気に誕生日を迎えることができました。

ただ、昨年の骨折以来、右手が以前のようには自由に動かず、右手では背中をかくこともできません。
また、ダラダラとギックリ腰や五十肩に悩まされており、老いを感じずにはいられません。

数年前までは自分だけは若いと思い込んでいましたが、私の同年代の人の中にも、難しい病気と闘っている人もいます。
元気で頑張れることに感謝をしながら、これからも仕事には意欲を持って取り組んでいこうと思います。

ところで、大阪ではいわゆる都構想?の住民投票がもうすぐ行われます。
政治的な発言は差し控えますが、少なくとも現大阪市民が移行する制度の内容を十分理解したうえで、〇か×かを判断してほしいと思います。

私は住民投票が可決された場合、自分が大阪市民でなくなる前に、必ず引越しをして大阪市民をやめます。
おそらく大阪府民もやめます。

令和2年10月
原昇平

ガラスの腰

令和最初のお正月を迎え、気づけば1月も最後の日となりました。

会計事務所という仕事柄、2月から3月が最も忙しい時期と思われがちですが、私自身はそうではありません。
確かに、事務所全体としてははその時期が最も繁忙期となるのですが、私個人は毎年1月中旬から1月末までが極端な繁忙期になっています。
一部についてはパートナーの瀧会計士にも手伝ってもらっていますが、どうしても私が直接関わらなければならない業務が集中するためです。

そんな繁忙期の最中、恐れていたことが起こってしまいました。
1日に何社も訪問しなければならず、事務所に戻る余裕もないので、重いキャリーバッグに数社分の資料を詰めて持ち歩くうちに、ふとした動作で腰を痛めてしまいました。
昨年10月に骨折した手首をかばいながら自動車に荷物を載せたり、電車に乗ったりするうちに、変な腰の使い方をしていたようです。

私の腰は「ガラスの腰」とも呼ばれることがあり、何度もギックリ腰を経験しています。
その都度、しばらくは用心するのですが、回復して数年するとそのことを忘れてしまうのです。

普段の運動不足も関係していると思いますが、来年からは頻繁に伺うお客様のところに荷物を置かせてもらうなどして、腰に負担をかけないように工夫しようと思います。

自分だけ若いつもりでいましたが、気づけば50歳になっています。
まだまだ寄る年波には負けたくはありません。

令和2年1月
原昇平

五十にして骨を折る

本日、50歳になりました。
ギプス姿での誕生日です。
「五十にして骨を折る。」
先日、生まれて初めて骨折してしまったのです。

お客様との食事会の後、お客様と別れて地下鉄のエスカレーターに乗りました。
その直後、エスカレータの降り口付近でバランスを崩し、前につんのめってしまいました。
咄嗟に荷物を持っていなかった右手が出て体重を支え切れなかったため、手首のすぐ下の骨が折れてしまったのです。
頭や腰を打たなかったことが不幸中の幸いでした。

二度目の大怪我で感じたこと。
それは、階段やエスカレーターは危険な場所であるということです。
いずれも転倒すれば大怪我になることは不可避ですので、これからはポケットに手を入れたりせず、手すりを持つようにしようと思いました。
また、エスカレーターを歩く人もどうにかしてほしいと思います。

それはさておき、私はダラダラと50歳になってしまいました。
それ故、天命を知るという境地には至らず、いまだに惑いもあります。
しかし、私はそれでよいと思っています。
私共のような仕事の場合、何年やってもわからないことが尽きることはありませんし、やりたいなと思うことも湧いてきます。
探求心や冒険心がなくなったときは、仕事に対する意欲もなくなっているかもしれません。
そのときが来るまで、精一杯頑張ります。


令和元年10月
原昇平

試練を乗り越える

令和になって初めての投稿になります。

年明けから現在に至るまで、多くの事態が発生し、精神的にも肉体的にも大変な日々を過ごしておりました。
幸いにも、私もパートナーの瀧会計士も体調を崩すこともなく元気で頑張れたことがせめてもの救いでした。
・1月から社員の一人が産休に入ったこと。
・その代わりに昨年の9月から雇用した社員が1月末で退職したこと。
・8年間事務所のためにとても頑張ってくれた社員が、退職する予定となったこと。
・年末から優秀な非常勤のスタッフに支えられていること。
・採用難の時代に、なんとか新規で二人を採用することができたこと。
・そのうち一人に入社直前に先方の事情で辞退されたこと。
・その後改めて一人を採用できたこと。

私にとって半年間でこれだけのことを経験することは初めてであり、もう経験したくはありません。
すべては事務所運営を軽く考えていた私の責任なので自業自得ではあります。
しかし、事務所運営について真剣に考えることができた半年間であったような気もします。

今は人材を維持することができない事業者は生き残れない時代です。
今回の試練を糧とし、同じ失敗を繰り返さないようにするつもりです。


令和元年5月
原昇平

平成最後の日

平成最後の日となりました。
私にとって平成は人生の3分の2近くを過ごした時代でした。
実際のところ、苦しい時期も長かったのですが、何とか社会での立ち位置を見つけることができたのではないかと感謝しています。

昭和天皇が崩御されて平成となった時、私は大学1年生で、改元の日は塾で中学生に数学と理科を教えていました。
こんな日に塾を営業していると右翼の人が怒鳴り込んでくるんじゃないかとヒヤヒヤしていたように記憶しています。

その後、大学2年生から公認会計士試験の勉強を始め、毎日朝7時から夜10時まで苦しい日々でしたが、二年後の平成3年に第二次試験に合格することができました。
合格後は、大学に在学しながら監査法人で監査の仕事を始めさせてもらい、公認会計士の受験学校で講師もしていましたので、毎日フラフラでした。
仕事をする上では勉強しなければならないことも多く、先輩に教えてもらったり、書籍で調べたりと大変でした。
今のように何でもインターネットで調べられる時代ではなかったのです。

平成7年に第三次試験に合格した後、監査法人を退職し、平成8年より税理士登録をして個人事務所を開業しました。
開業したといっても、しばらくはほとんど仕事もなく苦しい時期を過ごしました。
安易に稼げる日当仕事をよしとせず、私なりに「武士は食わねど高楊枝」という姿勢を誇りをもって貫いたつもりでしたが、楽ではありませんでした。
その後、人より何倍も時間はかかりましたが、おかげさまで徐々に仕事に恵まれるようになりました。
人並みの収入が得られるようになったのはつい最近です。

公認会計士・税理士を30年近くやってみて、本当に会計や税務は難しい仕事だと感じています。
恥ずかしながら、いまだに分からないことがたくさんあるからです。
常に知らないことや理解できないことに遭遇し、その都度調べたり考えたりしながらやってきました。
この仕事を続けていく限り、同じことは避けられないため、常に勉強し続けなければならないと思っています。
逆に、その意欲がなくなった時には、私は仕事を続けるつもりはありません。

明日からは令和です。
事務所の新メンバーも二人加わる予定ですので、気持ちを新たにチャレンジしてゆくつもりです。

平成31年4月30日
原昇平

40代最後の誕生日

一昨日、40代最後の誕生日を迎えました。
そして、早いもので公認会計士(会計士補時代を含めて)として28年目を迎えました。

私が大手監査法人に入社した頃、監査部門の部長でも28年もキャリアがある人はいませんでした。
せいぜい25年くらいだったかと記憶しています。

それなのに、今の私はそんな人たちを超えているとは到底思えないのです。
監査法人と税理士法人ではやっている業務の内容が全く違うのですが、人間としてのレベルが全く及んでいないのです。

気配り。
バランス感覚。
コミュニケーション能力。
私は全てにおいて至らない人間です。
上記のすべてを兼ね備えたパートナーの瀧先生が羨ましいです。
助けてもらってばかりですが。。。

おかげさまで、最近では何とか事務所経営も軌道に乗り、充実した毎日を送っています。
スタッフの数も増えました。
更なる発展のためにも、私自身が変わっていかなければならないと感じています。

平成30年10月
原昇平

私の左隣

平成元年の4月、大学2年生の私は当時中津駅前にあった専門学校のTACに通い始めました。
早いものでもう30年が経過しようとしています。

先日、その頃からの友人である浅野君と食事に行く機会がありました。
当時からの仲間は何人かこのブログでも紹介してきましたが、彼はエイトビルの502号室の一番後ろの席にて、いつも私の左隣で勉強していた人です。

彼とは大学も同じゼミの同級生で、7年前の中村先生を囲む会でも一緒でした。
http://www.shinwa-ac.net/cgi/blog/archives/259.html
その時に「また行こな」と言いながら、7年も経ってしまいました。
お互い試験合格後は別々の監査法人に就職し、私は早々に監査法人を退職しましたが、彼は現在でも監査法人で頑張っており、三大監査法人の一つで代表社員を務めています。

今回は、彼から紹介してもらった仕事を引き受けなかったことを直接詫びねばと思って誘ったのですが、そんなことはすっかり忘れて楽しい時間を過ごすことができました。
また、最近ではあまり聞くことが少なくなった監査法人の諸々の事情なども聞けました。
具体的なことは書けませんが、一言でいうと、お互いに楽ではないようです。

今となっては、彼とは同じ監査法人に就職していなくてよかったです。
こうやって気軽に飲みに行けるのだから。

平成30年8月
原昇平

ヒリヒリする仕事

確定申告の時期も終わり、桜も満開となりました。

この3月に久しぶりにヒリヒリする仕事をしました。
守秘義務もありますので、詳しく仕事の内容を書くことはできませんが、とても集中した1週間だったと思います。

考えてみれば、税理士業務は「悩むことが多い仕事」ですが、時間的制約と金額的なプレッシャーに押しつぶされそうになるほどヒリヒリすることは多くありません。

若い時には、こういう仕事に出会うと逃げ出したくなったりもしましたが、最近ではヒリヒリ感を少し楽しみながら仕事に挑めるようになってきました。

今後、このような仕事にどれだけ関わっていけるかはわかりませんが、逃げずに挑んでいきたいと思います。


平成30年3月
原昇平

囲む会

早いもので年明けから一か月が経過しようとしています。
実は、毎年一月中旬から下旬にかけての2週間は、私にとって一年で最も業務が集中する時期です。
私は以下の理由で「忙しい」という言葉を使うことはほとんどありません。
・貧乏くさいため。
・「立心偏(心)」に「亡」と書く漢字が嫌いなため。
・「忙しい」自分を演出しようとしている人(=儲かっていると思われたい人)を見ると悲しくなるため。
そんな私も「忙しい」と何度か言ってしまった2週間でした。

そんな期間の合間に、「M先生を囲む会」に3年ぶりに参加してきました。
M先生は今から20年以上前に監査法人に所属していた時にお世話になった公認会計士の大先輩です。
М先生大病を何度も乗り越えられ、お元気そうで何よりでした。
他にも英語がベラベラのО先生やプレイボーイのT先生も参加され、楽しいひと時を過ごすことができました。

前回の「囲む会」では、わざとではありますが、その場を凍らせてしまうような発言をしました。
問題提起のつもりで言ってみたのですが。。。
それ故、もう呼ばれることはないかなとも思っていましたが、ギリギリセーフだったようです。

会場では、まだ怒っているかもしれないО先生の隣に座り、いろいろと話をしました。
私は監査法人に4年程しか在籍していませんでしたので、監査法人を運営していく立場の人の気持ちはわかりませんでした。
しかし、業種こそ違いますが、私も税理士法人を経営する立場となり、当時のM先生やО先生の苦悩や焦りの一部を理解することができました。
この場をお借りしまして、О先生に前回の非礼をお詫びいたします。

最後になりましたが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

「一廉(ひとかど)」

気がつけば10月も終わろうとしています。
恥ずかしながら48回目の誕生日を迎えました。

早いもので、この11月から会計士試験合格後27年目となります。
私が会計人になった平成3年は、まだバブルの匂いがプンプンする人たちも多く残っており、会社の経営者も「おじいちゃん」のような方ばかりでした。
その「おじいちゃん」たちとお話をする機会はほとんどありませんでしたが、バブルの時代をわずかに過ごせたのは良い経験となりました。

当時とは私の仕事の内容も違いますが、最近では私よりも10歳以上も年下の経営者の方ともお付き合いをするようになってきました。
説教臭くならないように言葉遣いには注意していますが、間違った方向に行かぬように何とかしてあげたいという気持ちが前に出すぎてしまうこともよくあります。
それで嫌われたとしたら悲しいことなのですが、迎合するつもりはありません。
一廉の経営者となってほしい。それだけです。

話は変わりますが、先月には受験時代の良きライバル二人と食事に行きました。
一人は世界的な会計法人の日本のトップに、もう一人は億万長者になっていました。
16年ぶりに事務所を移転したことを知ったからと思いますが、昔を忘れず連絡してくれたことが嬉しかったです。
残念ながらそれぞれ別々の日でしたが、楽しい時間を過ごすことができました。

ありがたいことに今年の目標はすでに到達しました。
年末までには少し時間がありますので、来年に向けて準備をしていこうと思います。

平成29年10月
原昇平

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