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突然の惜別

2月1日に私の友人が逝去しました。
仕事中の事故で、2メートルほどの高さから転落し、不幸にも頭を打ってしまったそうです。

彼は中学高校の6年間を過ごした仲間であり、学校にも毎朝電車で一緒に通っていました。
高校1年生の時には、彼を含めた3人でゲームセンターに行っていたところを姉妹校のF先生(故人)に見つかり、停学2週間となりました。
スパルタ式の学校でしたので、停学といっても自宅謹慎ではなく、穴掘りや草むしりなどの強制労働をさせられるのですが、そんな馬鹿げた試練も一緒に乗り越えた戦友でした。

2年ほど前には、遅くに結婚した友人の結婚式の受付も2人で務めました。
http://www.shinwa-ac.net/cgi/blog/archives/502.html
その後、何度か同窓生の飲み会がありましたが、その結婚式が彼と最後に会った日となってしまいました。

いつでも会えるから、忙しいので今回の飲み会への参加は止めておこう。
そういうのは止めようと心に決めました。


令和2年2月
原昇平

スマホバカ一代

「皆もすなるスマホといふものを、我もしてみむとてするなり。」
(淀屋橋日記/北枕漣)

ということで、遅ればせながら携帯電話をガラケーからスマホに買替えました。
最後の一人になってもガラケーを使い続けようと思っていましたが、7年使ったガラケーの修理対応が終了することもあり、また、世の中の流れにも逆らいきれず、心ならずもスマホデビューをすることになりました。

携帯会社もソフトバンクからドコモに変更しました。
思い返せば、1995年に関西デジタルホンで最初に契約し、知らぬ間にJ-PHONE→Vodafone→ソフトバンクと移り変わっていきましたが、24年間キャリアを変更しませんでした。
お店に行くまではソフトバンクでもいいかと思っていましたが、前のガラケーを7年間も使っていたにもかかわらずポイントがゼロだったことに納得がいかず、今回変更することにしました。

これまで私がスマホを嫌い続けていた理由は二つあります。
ひとつは、歩いているときもレストランで食事をするときも、何かに憑りつかれたように難しい顔をしてスマホに向き合う人たちを見ると、気分が悪くなるからです。
私はその人たちのことを心の中で「スマホバカ一代」と呼び、心の底から軽蔑しています。
私は絶対にスマホバカ一代にはならないと心に決めていますが、誰かに原さんもスマホバカ一代だねといわれた場合には、ガラケーに戻します。

もう一つは、ちょっと触れただけで電話がかかってしまうことです。
ちょっとした間違いで相手を電話に呼び出してしまうことにより、相手の大切な時間に割り込んでしまうことが私としては耐えられなかったからです。
これに関しては、妻にどうすれば電話がかかってしまうのかをしっかりと教えてもらいました。
慣れないうちは間違って電話をかけてしまうことがあるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。

それから、私は携帯電話を携帯することをやめました。
といっても持ち歩かないということではありません。
ポケットに入れることをやめて、鞄に入れることにしたのです。
そうすることにより、毎日がなんと晴れやかになったことか!
私は永年悩んでいたのですが、「携帯に追いかけられている」という感情がなくなりました。
サービス業の人間は電話には直ちに返信しなければならないという思い込みにより、電話の着信に過度に敏感になりすぎて神経をすり減らしていたようです。

心の病気の大半は、携帯電話やメールによりいつでもどこでも仕事に拘束されるという環境に原因があるのかもしれません。
今後は電話の返信が少し遅くなることもあるかと思いますが、ご理解くださいませ。


令和元年9月
原 昇平(北枕 漣)

G20

早いもので6月も末日となりました。
今年の上半期が終わりました。
今年は改元時の連休もあり、月日の経過を特に早く感じます。

ところで、昨日まで大阪ではG20が開催され、とても不自由な数日を過ごしました。
多くの主要道路で通行規制が頻繁に行われ、特に自動車で仕事をされている人は大変だったと思います。
・JR大阪駅のタクシー乗り場に一台もタクシーがいない。
・タクシーを拾えない。
・タクシーを運よく拾えても、目的地には行けないと言われる。
・バスに乗っても、走行中にルートが変わる。
・さらに停留所以外の場所で降ろされる。
・歩行者まで通行規制される。
・規制区域で自転車に乗っていると怒られる。
・橋を渡るのに身分証明書を出せと言われる。

警備に従事する警察官はなんと3万人だったそうです。
私の自宅の周りも千葉県警や警視庁の警官がウロウロしていました。
遠い所から来られて大変だなと思いながらも、自宅前の交差点で10分も待たされたのには頭に来ました。
それも1台の黒塗り自動車を通過させるために。
交差点で立っている警官に話を聞いてみると、「昨日は朝の3時から晩の12時まで立たされていました。」とのこと。
まるでブラック企業です。

G20でどんな話し合いが行われ、どんな成果があったのかは知りませんが、周辺で居住するものとしては迷惑なイベントでした。
ただ、G20の開催自体が公共事業の一環として考えることもできますので、受忍せざるを得ないのかもしれません。
私は「公共事業=悪」と決めつけるバカな学者やマスコミが大嫌いです。


令和元年6月
原昇平

スタッフの募集

3月も終盤となりました。
相変わらず日々の仕事に追われる毎日が続き、少し痩せました。

現在、信和綜合会計事務所では、一緒に働いていただける人を2名募集しています。
募集条件は弊事務所規定に基づき、基本給のほかに資格手当・職能手当・挙績手当等があり、経験や保有資格に応じて優遇いたします。
弊事務所では、巷で行われている業務手当などの固定残業制は採用しておらず、17時以降に残業をする場合は法律に従って残業手当を支給します。

一人は、幹部候補として採用したいと考えております。
会計事務所に3年以上勤務経験のある方を希望します。会計事務所経験がなくても、税理士試験合格者(科目合格者含む)または公認会計士試験合格者も歓迎いたします。

もう一人は、税理士業務補助をしていただける人を採用したいと考えております。
簿記3級以上を保有されている方であれば、会計事務所での勤務経験は不問です。
帳簿書類の作成や税務申告書の作成などの仕事ができるようになるまで、個別にしっかりとサポートします。

この記載をご覧の方にお願いいたします。
税務会計のプロになりたい人や会計事務所に転職したい人がいらっしゃいましたら、ぜひ弊事務所にご紹介ください。


平成31年3月
原昇平

医者

1月も終わりに近づきました。
遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

実は昨日、父が心臓の不整脈の手術をしました。
父は2年ほど前から心房細動により不整脈を患っていたのですが、手術をするかどうかでずっと悩んでいたようです。
でも、生きれるのであれば元気に生きたいと考えて、ようやく決断したようです。

今回はカテーテルを使用しての手術でしたが、手術時間は4時間半に及ぶものでした。
私は母と叔父さんと3人で朝から病院に詰めていたのですが、とても長い時間のように感じました。
手術が終了し、病室に入ると父はもう目を開けていましたので、ホッと安心しました。
予想外の部分の治療も含め、何とかうまくいったようです。

人の命を救う医者というのは本当に素晴らしい仕事です。
私も会社や個人事業者の方にとっての医者と呼んでいただけるよう努力していきます。


(追伸)
9月から入社しておりました小野ひかるが今月末をもちまして退職することになりました。
非常に短い期間でしたが、皆さまのご愛顧に感謝申し上げます。
しばらくはタイトな人員構成となりますが、お客様にご迷惑をおかけしないようフルスロットルで頑張ります。


平成31年1月
原昇平

9月からの新入社員

9月も終わりに近づき、かなり涼しくなってきました。
今月より信和綜合会計事務所に新しいスタッフが入社しました。
名前は小野ひかるさんです。
何かと不慣れな部分はあるかと思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

以下、本人の自己紹介です。

初めまして。
小野ひかると申します。
奈良県出身の29歳です。
関西大学商学部を卒業後、販売員として勤務したのち、電機メーカーの事務として勤務しておりました。
会計事務所でのお仕事は初めてのため、不慣れな点も多々あるかと思いますが、一日でも早くお役に立てるように日々成長していければと思っております。
明るく元気な対応を心がけ頑張ります!
どうぞよろしくお願いいたします。

平成30年9月
原昇平

インターン

今月の初めから下旬までの期間、インターンの大学生を受け入れていました。
私のような昭和の人間にはなじみが薄いですが、近年ではインターンの経験というものが将来の就職活動に大きくプラスになるそうです。

弊事務所は小規模なため、これまではインターンの受け入れをしたことはないのですが、今回は断れない人からの依頼だったため、喜んで引き受けました。
といっても、
どんな業務をやってもらおうか?
給与などの待遇はどうしたらよいのか?
情報漏洩の対策はどうしたらいいのか?
など、受入側として、事前に考えたり準備したりするのは意外に大変でした。

彼女はアメリカの大学に通う大学生でした。
といっても、両親は日本人ですので、日本語も普通に話せます。
漢字は少し苦手なようでしたが、もし日本の会社に就職したいのであれば、漢字の勉強をした方がよいでしょう。

ドメスティックな仕事柄、片言の英語を話す香山を除いて、弊事務所には英語ができる人間がいません。
もちろん私も英語の「ことわざ」しか言えません。
生まれながらにしてバイリンガルの彼女が羨ましく思いました。
結局、文法を間違えるのが恥ずかしかったので、彼女に英語で話しかけることはできませんでした。
こういう時に練習しなければいけないのですが。。。

最終日には、彼女が日本で串カツを食べたことがないというので、事務所スタッフと一緒に串カツのお店に行きました。
大阪のディープな感じのする店でしたが、喜んでくれたようです。
彼女の就職活動の成功を祈ります。


平成30年7月
原昇平

大阪北部地震

6月18日の朝8時前に大阪北部で大きな地震がありました。
その時、私は食事を終えてBSテレビを見ていましたが、大きく揺れたので思わず妻の手を握っていました。
マンションの免震構造のためかと思いますが、ゆっくりと2分くらい揺れ続けましたので、気分が悪くなりました。
我が家の元気なウサギ(たもつ)も縮こまっていました。

ふと我に返り、テレビに目を戻すと、震源地は内陸とのことでした。
一瞬、東南海沖か南海沖の地震かと思って寒気を感じていましたので、ほっとしました。

その後、近畿地方の電車がすべて運休になっているという報道がありました。
スタッフも事務所に出社できないことがわかったので、電車に乗らずに出社できる私が事務所を開けなくてはならず、急いで事務所に向かいました。
幸いマンションのエレベーターは動いていましたが、事務所のエレベーターは非常停止したままで動いていませんでした。
仕方なく息を切らしながら階段で6階の事務所まで上がり、事務所を開けました。
結局その日は最後まで事務所のエレベーターは動きませんでした。

その後、谷町線で通勤するスタッフが昼前に出社してくれましたが、御堂筋線は遅くまで復旧しませんでした。
大阪のメインの地下鉄が運休していたことで、その日に出社できなかった人は多かったようです。
帰りには、淀川の橋を歩いて渡って北摂に帰る人が多くいましたが、本当に気の毒でした。
翌日には、モノレールを除いて、何事もなかったかのように電車は動いていました。

今回の地震で、私は大きな災害に対する準備が何もできていないことに気が付きました。
これを機に、まずはやれることから対策をしていこうと思います。

地震当日以降、多くの方にメールや電話をいただきました。
この場を借りまして、ご心配いただきました皆様に感謝申し上げます。


平成30年6月
原昇平

悔み

先日、お世話になった方が逝去されました。
永く闘病されていましたが、昨年の末にお会いしたのが最後となりました。

その方には本当に良くしていただきましたが、今になって悔やまれることがあります。

昨年の夏ごろ、土地の現地視察のために姫路まで訪問した際に、その方から「ビールでも?」と誘われたのです。
しかし、私はその日の夕方から大阪で先約があり、お断りしてしまったのです。
その後、その方と食事に行くことは叶いませんでした。
あの時、無理をしてでも行けなかったのかと悔やんでいます。

人生は誰と出会うかで決まる。
そんなことを感じてしまう人でした。

今後も、その方のご家族のために精一杯努めるつもりです。

平成30年2月
原昇平

大人の結婚式

この齢(48歳)になって頼まれるとは思いませんでした。
頼まれたのは、結婚式の受付係でした。
というのも、最後に結婚式の受付係をしたのが20年以上前だったからです。

勿論、中学校以来の友人からの依頼なので喜んで引き受けました。
ほぼ同時に引き受けたもう一人の受付係も同級生で、私と同時に停学となり、穴掘りや草刈りなどの強制作業を共に頑張った戦友でした。

結婚式の前にはいろいろと打ち合わせをしました。
・いまどきの結婚式では礼服を着て行かなくてもよいのかな?
・でも、受付係だから着ないといけないのかな?
・この齢になると、ご祝儀はいくら包んでいくものなのか?
残念ながら、20年前から全然レベルが上がっていない自分に気づいてしまいました。

披露宴は姫路の日航ホテルでありました。
玉田さんは気合を入れて着物で参加しており、高級クラブのママのようでした。
主役の新郎・新婦ともにそれなりの齢でしたので、馬鹿騒ぎすることもなく、大人の落ち着いた感じの良い披露宴でした。

その後、某医師会のイベントで披露宴に参加できなかった芸達者なメンバーなどが加わり、二次会・三次会と楽しく続いたわけですが、知らぬ間に新郎・新婦はいなくなっていました。
戦友も魚町(姫路の繁華街)のパトロールに行くとかで、二次会の後には消えていました。
散々浴びるように飲んだ後、広島から来た河原君をホテルに送ってから姫路の実家にタクシーで帰ったのですが、実家に帰った時間すら覚えていませんでした。

普段は次の日にダメージの残らない飲み方を心がけるようにしているのですが、古い仲間が集まったときは仕方がありません。
とても楽しい一日でした。

平成29年11月
原昇平